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2017/06/03

30  大学入試

瞬く間に、大学入試が近づいてきました。

母は、うちにある唯一の食卓を私に使わせるため、上に載っていたものを全部片づけて私のベッドの枕元に移動しました。

しかしその食卓の上は瞬く間に、本とテスト用紙で埋め尽くされました。

 

毎朝、目が覚めるとすぐに体を起こして机に向かい、無限に思える練習問題に取り組みます。それからそそくさと朝食を飲み込むと、重くて腰が曲がりそうに本が詰まったカバンを背負って、学校に向かいます。そうして教師たちの入れ替わり立ち代わりの“攻撃”に耐えるのです。

9時過ぎになると、疲れ果てた体を引きづって家に帰ります。家に帰ると家族にあいさつもそこそこに、枕もとの机に向かい各課の教師が出した宿題に向かいます。疲れ果て、体をベッドに横たえ布団に潜り込むと、数分のうちにぐっすりと深い眠りに落ちていました。

 

学校では音楽、体育など入試と関係ない科目は、全部なくなりました。

私たちはまるでロボットのように無表情に、体を緊張させて、歩き回る教師や、黒板、

教科書を目で追っていました。ただひたすら教科書に書かれた黒い文字を大脳に叩きこもうとしていたのです。

 

もともと同級生より2歳年下なうえ、入試の重圧がかかり、その年には“片頭痛”がしばしば起こりました。寝不足、過労あるいは気圧が変化したときなど、私は激しい頭痛に襲われました。まるで頭の中におもりがぶらさがっていて、私の神経のいくつかを規則的に叩いているみたいなのです。頭痛はだんだん下に下がってきて、目まで腫れてきました。

勉強がつらいだけでなく、食事さえ受け付けなくなりました。

私のカバンの中に、勉強机の上に、果ては筆箱の中まで必需品が増えたのです・・・・“鎮痛剤”

 

90年代の中国では大学の数と、進学を希望する生徒数が隔絶していました。毎年進学できるのは、希望者の一割に過ぎません。

入試に参加するためには、強い精神力に加え、死に物狂いで健康まで犠牲にする必要があったのです。

 

母は、それまでは毎回の模試の成績を気にしていたのですが、私の健康を気づかうようになりました。私の身体が、入試に耐えられるか心配になったのです。

 

そのため母は、経済力が許す範囲内ではありますが、栄養があるといわれるものを探してきて私に食べさせました。

その年は、肉や卵などはすでに食料切符が必要ではなくなっていました。しかし物価が高騰していて、欲しいものを好きなだけ食べれるという状況ではありませんでした。

そんな時、母は“毛卵”を発見したのです。

 

“毛卵”とは受精卵が孵化するのに失敗した“たまご”です。途中で廃棄されていたのですが、それを安価に販売する人がいました。

その栄養価は普通の卵の3倍あるのに、値段はなんと3分の1でした。そこで母はそれを大量に買ってきて、ゆで卵にして私に食べさせました。

 

殻をむくと、まだ形になっていないのはいいのですが、何となく雛の形状をなしているのもあり、口にするのがなんとも気が引けます。しかし大学入試のため栄養をつけねばなりません。それは当時、私が勉強以外に努力しなければならない唯一のことでした。

 

私は大学入試に備えて、実に多くの“毛卵”で栄養補給したことになります。

毛卵には発生の初期のもの、分化が進んだもの、ほとんどひよこに進化したものなど様々な段階のものがありました。味もそれにつれて微妙に変化しました。

数か月たった頃には、私は卵が孵化する過程を完全に掌握していました。

 

のちには多くの人に、この“毛卵”の栄養価とおいしさが知られるようになり価格も高騰しました。夜店の店頭では、醤油や花椒や八角などで味付けした“五味毛卵”が並びます。焼き鶏屋の店頭には、三個(?)の毛卵が独特のたれをつけられ串刺しになって焼かれています。いずれもとても美味しいものです。

 

“毛卵”は瞬く間に、日常生活のどこでも見られる、おいしい食べ物になり、私たちの生活を豊かにしてくれました。新しい“中国の都市の食べ物文化”の一つになったといえるかもしれません。

 

本題に戻ります。

数か月の入試の追い込み期が、瞬く間に過ぎていきました。恐怖の6月がついにやってきました。

 

その年の6月は特別暑かったように思います。

試験当日、学校の正面入り口では、まさに子供を戦場に送り出すような悲痛な面持ちで父親や母親が待機しています。

時間とともに試験場の前は人波で身動きが取れないほどになりました。

母は耳元で、じっくりと見直しなさい、うっかりミスはしないように等々、一生懸命話しているのですが、私は上の空でした。

周囲でも同じような会話がなされているのですが、ただうるさく感じられただけでした。

試験場の門が開かれ、私は人波に流されるまま中に入っていきました。

母は後方で手を懸命に振って叫んでいました。

“うっかりしないように!緊張しないでね・・・”

試験場に入るとなぜだかある種の脱力感に襲われました。

この二日間が過ぎれば私は自由になれるのだ!!

 

試験場は蒸し暑かったのですが、当時の東北地方ではエアコンも扇風機もありません。教室の中には何十人もの人がいて、監督の教師は規則正しくゆっくりと、歩きまわっています。私は空気がやけに重苦しく感じられました。

緊張、抑圧、長時間にわたった疲れ、・・・。

試験場にもかかわらず、私はいつの間にか眠り込んでいました・・・・。

 

試験は終わりました。

合格か、あるいは不合格か、人生の分岐点が遂にやってきます。

それまで、“宣告”を待つのです。

しかし、おかしなことに試験終了後、私自身はすっかりくつろいでいました。抑圧されていた6年間の受験生活がついに終わったのです。私は大手を振って遊びまわれるのです。結果がどうなったって知ったことではありません!

 

しかし母は緊張して、ご飯も喉を通らないほどでした。

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