2006/02/17

浩(ハオ)さんの物語 

 私の中国人の友人の浩(haoハオ)さんは、現在2児を育てながら、仕事も続けている、頑張り屋の若いお母さんです。時どき話してくれる中国での思い出話はとても面白く、私一人で聞くだけでは、もったいなくなりました。そこで思い切って、ブログに載せて、多くの人が読めるようにしたいとお願いしたら、快く承知してくれました。

 浩さんの幼い日、学生時代、日本に来てからと、なるべく年代順に一まとまりずつ文章にしてもらい、私が日本語に訳す、という形でやろうと思っています。浩さんの話を聞きながら感じた、わくわく感が少しでも皆さんに、お伝えできれば嬉しいのですが・・・。 ただ、浩さんはとても忙しいので、不定期になるかもしれません。その辺は、成り行きに任せようと思います。

 文中の固有名詞は、少し変えさせていただきました。

  

             1.雪の夜

 私の名前は浩(hao ハオ)です。

1973年のある雪の降り続く夜、周囲を囲む人々の、大きなため息の中、誕生しました。

 私の名前を見た人は、この名前の持ち主は、きっと志の大きな男子、少なくともそう期待された男性だと思うでしょう。なぜなら中国では一般に、男の子にしか、こんな気宇壮大な名前をつけないからです。でも、私は志も大して高くない、普通の一人の女なのです。父がこの名前を、生まれてくる我が子のために用意してくれた気持ちはとてもよく理解できるのですが、私が女であるという事実は変えることはできません。

 父は山東省の辺鄙な農村の出身です。その村の人々は、代々農業で生計を立てていました。そのため、労働力となる男の子を持つ事が、生きるための希望だったのです。また“家系”を絶やさないことが最大の親孝行と考えられていました。当然、男の子だけが家系を継ぐ事ができるのでした。

 

 私の父方の祖母は8人の子供を生みましたが、そのうち3人は男の子でした。そのため、祖母は、村の中で鼻が高かったそうです。父は、その中でも、母親のお気に入りの息子で、当時、農業を手伝うために8歳前後で学業を放棄していく男の子の中では珍しく、勉強を続けました。父が持ち帰った“中学卒業証書”を見て、祖母は嬉しさの余り、大泣きしたそうです。その卒業証書を、祖母は、家に来た人の目に付くようにと、門を入った直ぐの壁に貼り付けました。

 それは、後に母が初めて父に連れられて、訪ねた時も、10数年の風雪に耐えしっかりと貼り付いていたそうです。

 父が故郷を離れたのは、たぶん18歳の時でした。人民解放軍が村に来て、兵隊を募集したので、父は直ぐに応募したそうです。父が家を離れる日、祖母が泣いたかどうか、私は知りません。父もそれに触れた事はありません。ただその日、祖母が何度も繰り返し次の言葉を父に言ったそうです。“何処に行こうとも、早くいい嫁を見つけてくれよ。私がまだ元気なうちに、孫をこの目でしっかりと見たいのだよ。”

 父は、祖母の願いにたがわず、美しいお嫁さんを見つけました。

                                                                ( 続く )

 

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2005/11/19

けんちゃんへの返事

 ブログ検索で思いがけず、同世代の方のブログを見つけ、久しぶりに訪れた故郷の小川でめだかを見つけた時のような気持ちがしました。・・・・懐かしいというか、あ!まだ元気でいてくれたというような気持ちでしょうか。
 けんちゃん氏のブログを少しですが読ませていただいて感じた事のうち二点について、私なりの意見を述べさせていただきます。

 <ブログの可能性>

① 初めの頃、インターネットでの議論は、酒の入った宴席上での会話のようなもので盛り上がっているように、少なくとも新参者の私には見えました。○チャンネルに代表されるでしょう。現実社会での鬱積した不平、不満を無礼講的に語り合う、または独白することにより、個々人の精神的解放を得る。
 それはそれで意義あることですし、決して否定されるべき事だとは思いません。ただこの場合は、自由に話せる代償として、ネットの性質上(可能性として世界中の人が覗ける)、話題に上った私人の個人情報、事物の特定を、第三者に許すような表現は避ける、意図的に虚偽情報を流さないなどの、配慮は必要とされると思います。

② 次に私が注目しているのは、従来のマスコミの欠点を克服した形の、より一般の人の立場に立った情報集約、発信機能の構築です。新聞やテレビのニュースに接した場合、自分の専門分野だったり、住んでいる地域の情報だったりした場合、一寸違うな、だいぶ違うな、ぜんぜん違うなと感じた経験は誰もが一度や二度はあると思います。
 マスコミが すべての情報を、熟知する事は、能力的に無理なのはわかります。又、多くの商業マスコミは広告収入によって成り立っているので、広告主の意向を無視できないという構造的宿命を持っているとも思います。
 これらを克服するものとして、なにかニュースが発生した場合、ソースに近い人が事実を事実として発信し、そのことに詳しい人がわかり易く解説してくれれば、少なくとも誤解や、無理解から来る軋轢はずいぶん解消されると思います。“けんちゃんのどこでもコミュニティ”などは、③ともつながるのですが、地域の情報発信として楽しく読ませていただきました。

③ 三つめ、これはけんちゃん氏のブログが目指されているものだとも思うのですが、地域コミュニティの再構築です。現在日本は、従来の社会機能が無計画に壊されるだけで、新しいコミュニティが形成されていないという非常に不安定な状況にあると思います。今、身の回りに、私達ができる事、やらなければならないことは山積みされています。
 これを克服するためにHNKの “ご近所の底力” や、行政の思いやりが拾い上げてくれるのをひたすら待つのでしょうか。
 けんちゃんがなさっているような事を、多くの人が実践し、手をつないで行けば ( ネットの得意分野 ) 多くのことが好転し、日本の活力再生の一端を担えると思いました。 

                             ( 次回に続く )

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 “あなたへのEメール”出版の再度の遅れ報告。  私が校正段階で色々細かな注文をつけたせいで、またまた延期とのこと。この際、クリスマスまでにできればいいカナとあきらめました。

 

  

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2005/07/11

再開します

パソコン不具合のため、少々お休みしていました。この間色々考えさせられました。いつでも使える時は、さほど感じなかったのですが、まったく使えなくなると、とたんにパソコンが私にとってかなり重要なツールになっていることに気がつきました。
 特にインターネットで自由に自分の意見を発信したり、他の人の意見に触れたりしていたぶん、それらが突如止められると苦痛に近いものがありました。
 「ママはネット依存症だね」 と息子に診断を下されました。
 まったくパソコンハードに無力な私にとって、唯一の救世主の息子が、何とか仮修理をしてくれたので、更新をぼちぼち再開します。

 

 

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2004/12/27

ブログに噛みつかれました

 ブログを始めて足掛け3ヶ月。コメントの少なさに、自分の発信力のなさを反省すること頻り。この際、先輩に学ぼうと、有名ブログ巡りを始めました。其の中のひとつ、K-ブログにはビックリしました。場にそぐわないコメントをしてしまったためか、翌日覗いてみたら、ドリフのコントよろしく、私のコメントが火祭りの生贄にされていました。ドリフが生贄の時には笑えたのに、立場が自分になると、ぜんぜん面白くありません。
 その上、今まで生きてきた中で、一番ひどい言葉を浴びせられていました。これには、私個人の立場を超えて、ブログの未来に対して足を引っ張る行為だと腹が立ちました。誰に対してもオープンで自由に発言できる場を提供するのが、ブログの生命だと考えています。
 細かいことを言えば、投稿ボタンがやたらと錆ていて、何回も押すと突如押した数だけ投稿が並ぶのには参りました。しかもサイト主さんには、余分なものをそっと消してくれるなどの気使いが見られません。コメント数の上げ底、水増しを狙っているのかな、と邪推さえしてしまいます。
 私個人の感想をいえば、元気のいい子犬の頭をなでようとしたら、いきなり噛み付かれて、目を白黒させているといったところでしょうか。

 ブログ全体の立場で言えば、K-ブログの発信力を、もっと有効に使っていただきたいと思います。
 今朝の新聞一面トップでスマトラ沖地震のニュースが踊っていました。ここで何ができるか! 日本が真の意味で国際化できるかどうか!が問われていると思います。英語をしゃべれることが国際化だと思っている輩を、火祭りにでもしたらどうですか。子供にブランド品を与えるのが親の役目だと勘違いしている人たちに、有り余ったお金を持たせて被災地に送り出せと檄でも飛ばしたらどうですか。

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