2010/11/12

ミー子七変化

 Yantya 季節は変わり、残暑の中我が家にやってきたミー子だが、今は我が家の庭も秋真っ盛りだ。

ピーラカンサが朱色に色づき、百日紅や梅はあらかた落葉してしまい、何となく庭が明るく感じられる。

ミー子も外に出たくてすきあらばと狙っているが、私は思案中で、当分は家の中での大暴れを見守っている。それにしてもすごい運動量である。

“疲れを知らない子供のように・・・♪”何となくハモっている。

いたるところの壁をよじ登り、机に飛び乗り、紐やコードにじゃれ付き、・・・・Kabenobori

それを追う様に壁から掛け軸ははずされ、置物は収納され、コードは目に付きにくくしてと部屋を片付けている。

最近は私がパソコンをいじっていると膝の上でじっと画面の動きを見つめている。マウスの動きにつれ動くマウスポインタや画面変化が面白いらしく時々画面にちょっかいを出す。おかげで画面のあちこちにミー子の肉球跡がテンテンと付いている。

Osumashi そして時々見せるお澄ましスタイル。ミー子に振り回されっぱなしの毎日である。

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2010/11/05

ミー子大暴れ!

何しろ9月の終わりに我が家にミー子がやって来た時400グラムそこそこだったのに、一ヶ月で1000グラム超と急成長。態度も行動半径も劇的に大きくなった。

良く噛み、良く引っかく。私の手の甲や足首はミー子の歯や爪あとで見るも無残(能ある鷹は爪を隠すというから、よほど能がないのだろう)。

我が家の客人も、始めこそ“まあ可愛い!”とほめてくれるがしばらくしてミー子が本性を発揮しだすやほうほうの体で逃げ帰る。どうやら我が家は“一見さん”しか寄り付かなくなりそうだ。

しかしこれも数ヶ月後には厳しい大自然のなかで自活していかねばならなかった本能のなせる業と温かく見守る事にしている。

ところで幼児が幼児らしいのはいいのだが、昨今の日本の権力エリートの幼児化現象はどうしたものだろう。

自分のストーリーに合わせて証拠を平気で変える検事・・・

日中友好の流れを台無しにして、漁夫の利を狙う第三国に大好きな列車のおもちゃをご褒美にもらってはしゃぐ外相・・・

無能者は何もしない事が最小不幸社会の実現に貢献すると悟ったような首相・・・等々

偏差値教育の弊害とばかりはいえないであろうが・・・・。

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2010/10/22

ミー子が我が家にやってきた!

 毎日もう大変である。こんな事になるはずではなかった。

子育ても卒業し、両親も他界し、後は自分の時間を精一杯楽しもうと計画していた。長期間の旅行もしたい、家の中もこぎれいにして老後の生活をのんびり気ままに楽しむのもいいものだ・・・・。

Miko  それらすべてが吹っ飛んでしまった。

それは3週間前にさかのぼる。夕方の買い物帰り公園の脇を通りがかった。か細い子猫の声が木立の中から聞こえてきた。目を凝らすと折からの雨でずぶぬれになった子猫が必死に私のほうを見て鳴いているのだ。

 可愛そうに、捨て猫だな・・・でも今の私には飼えない。色々な計画が吹き飛んでしまう。・・・

いったん心を鬼にして通り過ぎようとした。でもミーミーという鳴き声に負けた。ハンカチを取り出し、4隅をつまんで中に入れて、足早に家に帰り、風呂場できれいに洗った。

後はもうミー子に振り回されっぱなしの毎日になってしまった。幸いだんなが私にMiko2 輪をかけてミー子のとりこになったようで、お遊び相手になってじゃれあっているのでずいぶん助かる。

人生とはなかなか計画通りに行かないものだ。しかしそれはそれでいいのかもしれない。

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2006/05/05

9.おじいちゃんと豚  続

        

 私達が円円、雲雲と仲良く遊んでいると、あの緑の塀の門が開いて、中から二人の男の人が出てきました。二人とも、黒いゴム製の地面まで届きそうな長い前掛けを掛けています。歩くたびに、硬そうな前掛けはパタパタと鳴ります。

“何してるの?おなかすいたんだろう!ちょっと待ってろよ、直ぐに始末して肉を食わせてやるからな”前掛けをした人が言いました。

“始末する?”

“肉を食べる?”

私達は、一瞬呆然としました。どうしてそんな事ができるんでしょう。どこかで間違ってしまったようです。

“僕たちおなかすいてないよ、あの子達を食べたくないよ。お願い、殺さないで!”私達の中で少し年上の子が大声で叫びました。この時、私にも事の次第がはっきりしてきました。

“本当だよ、あの子達とっても可愛いよ。私たち一緒に遊びたくて付いてきただけだよ。おなかなんかちっともすいてないよ。あの子達を殺さないで!”そこにいた子供達が一斉に叫ぶ中、二頭の豚は、何が起こっているのか分からないという感じで頭をかしげ、しっぽを振って私達に愛嬌を振りまいていました。

 突然温かな、力強い大きな手のひらが、私の頭をなでました。振り返ってみると、祖父でした。祖父もさっきの男の人と同じようなゴムの前掛けをしています。

“浩ちゃんは豚肉大好きだろ、これは豚なんだ。これを殺さないで、浩ちゃんどうやって肉を食べるの?いい子だから、早くお家に帰りなさい。ここは子供が遊ぶとこじゃないよ。おじいちゃんが豚肉もって帰るのを待っていなさい”

 私はいままで、豚肉と今目の前にいる円円、雲雲を関連付けて考えた事がありませんでした。急に恐怖といいようの無い罪悪感が沸いてきました。

 円円と雲雲は耳を振り、お尻をくねらせ悠々とわたしたちの前から遠ざかって行きました。その様子は、今でも脳裏に強く焼きついています。

 緑色の門が閉じられました。ほどなく、中から鋭いヒステリックな叫びが聞こえました。私達は塀にへばりつき、必死に隙間を探し中を覗こうとしました。そのとき分かったのですが、塀の内側はトタンで覆われていて、外からは何も見えないのでした。中から聞こえてくる鋭い叫びはだんだんか細くなります。そのとき、未だ幼かった私にも、二つの命が私たちから遠く離れつつあるのが分かりました。涙があふれてきました。

 程なく祖父が、豚の耳やシッポや色々な内臓を持って帰ってきました。祖父は上機嫌でしたし、家中みんなも大喜びでした。祖母は直ぐに火を起こし豚の皮をあぶって毛を取り除くと、大きな鍋に全部入れて一時間余りぐつぐつと煮ました。部屋中によだれが出るような匂いが充満します。

 こうなると、現金なもので、今まで傷ついてわだかまりの有ったはずの私でしたが、上機嫌でみんなと一緒に久しぶりの肉のご馳走に舌鼓を打っていました。こんなにみんなが喜んでいるのですから、祖父のやった事に間違いは無かったのでしょう。

・・・・、豚の悲鳴、だんだん弱くなる叫び、そして消滅。その後に続く家族みんなで食べる豚肉のご馳走、その後も何回も繰り返されました。

 豚の存在意義は何処にあるのでしょうか。“生命の尊厳”てなんでしょうか。あの時から今に至るまで、私には答えられません。

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2004/12/17

ミ ケ       ( 2-14 )

 クロは残された一匹を、前にもまして可愛がった。 三毛猫だったので “ミケ” と名づけた。 これで万事うまくいくと私は安心していた。 ところが、その内にチビが家から姿を消した。 私は迷子になったのかと心配して、近所を探し回った。 家から程遠くない家の前でチビを見つけて、ホッとして家に抱いて帰った。
 「ほら、チビを探してきてあげたわよ」

 私はクロが大喜びで、チビに近寄るものと思っていた。 次の瞬間、私は自分の目を疑った。 クロが突然、体中の毛を逆立てて、シッポまで、いつもの四倍くらいに太くして、フギャーとチビに飛び掛かった。
  「どうしたのクロ」
 私がクロを止めようとした時、チビは後をも見ずに、我が家から飛び出していった。 その後何回か、以前見かけた家のそばでチビを見かけた。 その家の庭の芝生で寝そべっていることもあった。 “器量良し” のチビは、どうやらその家に安住の住家を見出したようだった。
 
 動物の世界は厳しい。 きっとクロは、チビの独立の時期を知っていたのだろう。
その後、クロとミケの平和の日々が続いた。 ある日私は、家の前の道で、子供たちが騒いでいる声に気がついた。
  「子猫が死んでいる」
 私は不吉な予感に襲われ、二階から階段を駆け下り、サンダルをつっかけ、玄関から外に飛び出した。 道の隅にミケが横たわっていた。 その体をクロが一生懸命なめまわしていた。 幸い、ミケの体はきれいだった。 跳ね飛ばされたのだろう。 キズらしいキズも見当たらなかった。

 私はミケの亡骸を庭に運び、クロがいなくなったスキに庭の一隅に埋めた。 早くクロに忘れて欲しかった。 それからしばらく、クロにとっても苦しかっただろうが、私にとっても苦しい日々が続いた。 私はクロの子猫には、もうコリゴリしていた。
 “避妊” 、以前どっかで聞いたことがあったこの言葉が、脳裡を横切った。 野良猫、野良犬の増加を防ぐため、都では避妊を奨励している。 こんな内容を新聞か何かで読んだことがあった。 その時は、気にも止めなかったが、ここにきてこの言葉が救いのように浮かび上がってきた。
 そうだ、クロに避妊手術をしよう。 そういえば、クロはこのところ、精神的疲れのせいもあろうが、短期間の二度の出産で、体力を消耗したみたいだった。 以前の黒光りしていた毛のつやもすっかり無くなっていた。 動きも心なしか鈍くなっていた。

 私は保健所に電話して、避妊手術をしてくれる病院を聞き出し、クロをカゴに入れ、山手線の、とある駅を目指した。 その駅の改札口を出る瞬間、クロがニャーと鳴いた。 改札係は耳ざとかった。
  「猫を連れてますね。 猫の乗車券を頂きます」
 その時、三倍取られたか、人間並みだったかは忘れたが、その後に続く手術代、帰りのタクシー代と私にはかなりの出費だった。 麻酔からさめず、手足を硬直させて、腹に包帯を巻かれたクロは痛々しかった。 その後数週間、包帯が取れ、すっかり毛も生え揃って、また元気に走り回るまで、私の心は重かった。 私のした事は、クロにとって良かったのかどうか自信がなかった。

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2004/12/14

チ ビ       ( 2-13 )

 数年するとクロも大人になった。 当時、私は二階の東南向きの部屋を使っていた。 この部屋は初めは長兄、長兄の独立後は次兄、そして次兄が就職して地方に行った後、私が使用していた。 その部屋の北側は押し入れとなっていた。 私は上段を改造してベッドに、下段はカーテンをつけて物入れに使っていた。 ある日、そのカーテンの中へクロが入って、ゴソゴソしていたが、そのまま出てこなかった。 私は用事で階下に降りていくついでに、カーテンを開けて覗いてみた。
  「クロ、そんな所で何しているの」
 驚いたことに、クロは四匹の子猫のお母さんになっていた。 まだ目が開かない子ネズミみたいな赤ちゃんを クロは丁寧になめまわしていた。

 しかし、数日のうちに、次々と三匹死んでしまった。 初めてのお産で、クロも慣れていなかったのだろう。 残された一匹はスクスクと育った。 きれいな毛並みのキジトラで、シッポが体の長さと同じくらい長く、先まで真っ直ぐにスラッと伸びていた。 私はそんなに見事な子猫のシッポを それ以前見たことがなかった。 私はこの子猫を “チビ” と名づけた。 クロはチビをとても可愛がった。 私がチビをかまっても 機嫌を悪くした。 いつも一緒に行動していた。

 チビの運動神経は、クロを上回っていた。 親指ほどの小枝でも、難なく登ってしまった。 まるでリスが枝の上を駆け回っているように見えた。 それから数ヶ月して、クロが又子猫を産んだ。 それも四匹。 今度の子猫は準備期間が短かったせいか、毛並みがひどくバラバラだった。 顔半分が黒で、半分は茶トラだったり、口の回りが黒くて、その他はホルスタインみたいだったり、まるで一貫性に欠けていた。 その上、シッポは四匹とも短くて、しかも先端が曲がっていた。 どうしよう。 これじゃ、誰も貰い手が見つかりそうにない。 といって家で皆飼うなんて言ったら、母はびっくりしてしまうだろう。 クロとチビ、それに他の生き物の世話で、私は手一杯だった。 悩んでいる内に子猫はどんどん大きくなった。 目はパッチリ開き、庭を駆け回って遊ぶようになっていた。 どうにかしなければ。

 その頃、私の頭の中では “捨て猫” という言葉が、行ったり来たりしていた。 可哀そう。 でも当時の東京には、まだ野良猫の生きる十分な空間があった。 我が家にも、クロの友達の野良猫の何匹かが出入りしていた。 近所でもよく見かけた。 自分で生きる道を探して。
 私は意を決して、ある日、四匹の内三匹をカゴに入れて家を出た。 行き先は多摩川。
その川岸の草の茂みにそっと三匹を置くと、私は心を鬼にして、ミャーミャーという声を振り払うようにして、その場を去った。 あそこなら野鳥や虫も多いし、空間も広いから食べ物も探しやすいと、何となく自分に言い聞かせていた。

                               chibi
      チ ビ        

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2004/12/11

ク ロ       ( 2-12 )

 猫に関しては、色々と悲しい思いでもある。
 先ほども書いたが、我が家には常時一匹の猫が飼われていた。 その一匹が何かの事情でいなくなると(大抵は老衰で死んだ)、次のは空白の数週間のうちに、誰かが拾ってきた猫に決まった。 後になるが、私が高校生の頃から、家にいた猫 “クロ” は私が拾ってきたものだった。

 母は家族の世話やら何やらで忙しかったので、私が拾ってきた時条件をつけられた。
 「全部、明子ちゃんが自分で世話をするなら、飼ってもいいわ」
 猫の世話をするのは、私も初めてだった。 その真っ黒な捨て猫は、泥で汚れていた。 私は先ず風呂場で石鹸を使ってきれいに洗った。 いかにも小さな子猫は、水で濡れると、ますます小さくなり、消え入りそうな声でミャーミャー鳴いた。 この “猫の入浴” はクロの成長とともに、私にとって一大難事業となっていった。 体は大きくなり、力は強くなる。 ある時など、石鹸を付け終ったと思ったら、窓から外に逃げ出してしまった。 それ以来、クロの入浴中は窓をしっかり閉めることにした。 逃亡予防のほかにもう一つ目的があった。 クロは入浴の間中、まるで私が猫虐待でもしているみたいに、ギャオギャオ大声で鳴き続けるので、私も “世間体” をはばかったのである。

 クロは運動神経抜群の猫だった。 子猫の頃はよく後ろから、歩いている私の肩に飛び乗った。 たまには、乗り損なって、私の背中に爪を立てた。 その痛いこと、私の背中には数本の赤い筋が残った。 裏の家と我が家は1m半程の段差があったが、いとも簡単に飛び上がった。 庭木のてっぺんから顔を覗かせている事も良くあった。 スズメ獲りはクロの得意技だった。 庭の所々にスズメの頭が落ちていた。 最初私はその黒い丸いものを、マツボックリかと思って拾った。
 スズメの頭だと分かった時は、キャと言ってあわてて投げ捨てた。 当時はキャットフードもなく、我が家で肉や魚の残り物がでる事などほとんどなかった。 ご飯に味噌汁の残り、たまにニボシの食事では、クロにとっては物足りなかったのだろう。

 ある時は、山鳩(キジバト)を捕まえた。 この時は私もさすが、クロを山鳩から引き離したが、傷が深かったため、山鳩はすぐに死んでしまった。
 ある日、廊下にあったスリッパの上に、何か灰色っぽい物が乗っていた。 顔を近づけてみると、それは死んだネズミだった。 私は一瞬ドキッとした。 何てことをするの。 でも次の瞬間、私はクロの気持ちが分かったような気がした。
 「ワタシだってニンゲンに役に立つ事できるのヨ。 コレは、ワタシからアキコちゃんへのプレゼント」
 ただ、クロの気持ちが、他の人に誤解されても困るので、私は急いで、そのクロからの贈り物を片づけた。
                             koneko
                                 こねこ

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2004/12/10

十姉妹      ( 2-11 )

 我が家へ十姉妹のきた経緯は忘れたが、私の小鳥の最初のペットだった。 私はミカン箱を改造してカゴを作った。 片面に金網を張り、入口と糞の掃除用の引き出しを作った。 餌入れと水入れを買ってきた。 近くに小鳥屋さんがあったので、何かかにか教えてもらった。
 毎日、餌と野菜と水を取り替え、新聞紙を取り替えと、結構手間がかかったが、私にとって最初の本式ペットだったので、一生懸命だった。 野菜は小松菜やはこべをやった。 一度、小松菜を自家調達しようと庭に種をまいたが、10cm位に育った所で、青虫に全部食べられてしまった。
 十姉妹は良く卵を産んで、20数羽に増え、人にあげるまでになった。

 その内に、サクラ文鳥とカナリヤを、母が同級生の親と話をつけて貰ってきてくれた。 カナリヤは猫が箱をひっくり返した拍子に、入り口が開き逃げてしまった。 大学の薬学部に通っていた上の姉が、実験用のラットを二匹、貰ってきてくれた。 15cm位ある大きな白ねずみで、目が赤くて可愛かった。 ラットの箱は、りんご箱の上面に金網を張り、入口を付け、底一面にワラを敷き詰めた。 しかし、ある日、このラットは箱の木をかじって穴を開けて逃げてしまった。その後随分探したが、行方は分からなかった。

 大学の農学部だった上の兄が、蚕の卵を貰ってきてくれたことがある。 兄に教わった通り桑の葉を箱に敷き、上に卵を置いた。 数日すると黒い小さな幼虫が生まれた。 この “ケゴ” も脱皮を繰り返すうちに、見る見る大きくなり、薄ねずみ色の幼虫となり、又色が少し変わったなと思った時マユを作った。 私はその間、ワクワクしながら、せっせと桑の葉を近所の畑から貰ってきた。
  ある日、マユを破って蛾が出ていた。 箱の外に出ていたので、私は羽をひょいとつまむと箱の中に戻した。 その時、自分ながらビックリした。 今まで大抵の虫なら平気で持てたが、蛾だけは苦手だった。 夏の夜など、部屋に飛び込んでくると、ワアワア言って姉達と一緒に逃げ回っていた。 世話をしていたので情が湧いたのだろう。 そんなこんなで、私の周りは生き物だらけだった。 そんな私を、下の姉は “虫愛ずる姫” とからかって呼んでいた。
                            gomadara
      ゴマダラチョウ

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2004/12/07

ペットについて  ( 2-10 )

 私の家の西側は段差で高くなっていて、コンクリート壁と家との間は、何となく湿気も多く、じめじめしていた。 シダやドクダミなどが好んで生えた。 そこに数匹のガマガエルが住みついていた。 夕立の後ともなると、そこから這い出してきて、居間の前の庭をノソノソ歩いている。
 私が割り箸の先にご飯粒をつけてゆらしてやると、サッと舌を伸ばして食べる。 このガマガエルも、広い意味では私のペットだったのかもしれない。

 他にも、この時期、私は様々な動物を飼育していた。 十姉妹、カナリヤ、サクラ文鳥、ラット、蚕、…・そして犬と猫。 犬は、私のというより父のペットだったかもしれない。 父が友人の引っ越しに伴い、手放さざるをえなくなったスピッツを引き取った。 ピー子という名前だった。 母が食事、下の兄と私が散歩を引き受けた。 もうかなりの老犬で、程なく病気にかかり、獣医さんに見せたが死んでしまった。 父は今思うに動物が好きだったと思う。 私の記憶にある限り、我が家には必ず犬と猫がいた。 前橋時代、父がポインター種の犬を貰ってきた。 喜んだのもつかの間、数日後に盗まれた。 以後は大抵雑種だった。

 広島では、日本犬の血が混じっているという、なかなか立派な犬がいた。 耳がピンと立って、尾はクルッと巻き上がり、ひげと指の爪は黒かった。 これらは日本犬の特徴ということだった。
 しかし、山陽線ぞいの家が軒並み泥棒に入られた時期、この犬は庭で泡を吹いて死んでしまった。 多分毒を盛られたのだろう。 その数日後、我が家も泥棒に入られた。
 猫に関して言えば、父は自分からは大して可愛がる風には見えなかった。 しかし我が家の歴代の猫は、皆、父のあぐらをかいた上に丸くなって寝るのが、お気に入りだった。 広くって、暖かくて、何も干渉されないのが良かったみたいだ。 とにかく、父がくつろいでいると、たいてい、猫も気持ち良さそうに父のあぐらの上で丸くなっていた。

             jitensha
             ピー子と 私と自転車

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