2009/11/06

トーテム

“面白そうな映画あるから見に行かない!”

 数日前友人に誘われるままに、六本木のこじんまりした映画館に出かけた。しかも夜の8時10分開演で、普通なら余り出かけたくない時間帯である。

 それでも出かけたのは、このところ私の関心の底辺を流れているいにしえ(古)のアジアに何となくかかわりそうな予感がしたからかもしれない。

台湾の少数民族アミ出身の歌手スミンと仲間の日常生活を丁寧に追っていくことで、台湾に於ける少数民族の姿を私達にも親しみやすく紹介してくれていた。彼らの歌声と曲調が心に優しく伝わってくる。穏やかで豊かな自然にはぐくまれた台湾の空気のようなものに染まっていくような気がした。

スミンの故郷で年配の人々が懐かしげに歌ってくれた日本の歌の数々。さりげなく写された部屋の壁に未だに貼ってある蒋介石の肖像画、スミンのおばあさんが敬虔なクリスチャンらしい事、・・・・、これら彼らがたどった近代の歴史のパッチワークの中にあって、アミ族の伝統儀式の映像が迫力をもって迫ってきた。

輪になって激しく踊る彼ら、特に男性の装束に思わず目を見張った。胸飾り、頭の周囲の羽飾り、これってアメリカインディアンのパクリでないの?と思うほど良く似ていた。

そういえば部落の長老の顔も何となくインディアンの酋長の顔に似ている。

そもそもトーテムという、バンド名にしてもトーテムポールのトーテムなのだろうと、ココまで来て始めて気が付いた。彼らが単に親しみを感じて命名したのか、民族的近似性を意識してつけたのか分からないが、私の頭の中では、はっきりとした民族移住の矢印が結びついた。

アミ族の言語はオーストロネシア語族に属し、5200年ほど前に一部が台湾を出て、フィリピン、インドネシア、マレー半島に渡り太平洋の島々ニューギニアやハワイ、イースター島、更にはマダガスカルまで広がっていったらしい。これらの言語には、はっきりとした親族関係が見られるという。

日本語の基礎語彙の35パーセントがオーストロネシア語族起源という説もあるという。

当然これらの言葉を話していた共通の祖先は中国大陸からいつの時代にかやってきたのであろうし、その一部がアメリカインヂアンの祖先になったのははっきりしているのだろうから、その親族関係は予想以上に緊密なものかもしれない。

この映画を見ながら、そんな事を考えていたらいつの間にか終了していた。

台湾のアミ族、アメリカインディアン、アンデス文明シカン、四川省三星堆遺跡、日本の起源、・・・・頭の中がカオス状態になってしまった今日この頃である。

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2009/07/02

剣岳  点の記

 いい映画だった。初めから終わりまで目が潤み、心地よい緊張感に包まれた。

Yarigatake  剣岳・・・。登山好きの息子から登頂の報告を受けてから数年たつ。嬉しそうな、誇らしげな電話の声だった。

 “でもね、結構普通のおばさん達が登っているんだ。百名山なんで省くわけに行かないんだろうけど。でも途中で動けなくなって岩にへばりついてるよ”

 こんな予備知識しかない私は、映画の進行とともに圧倒的映像の迫力と緻密な構成、俳優の演技を超えた演技によって飲み込まれていった。一場面一場面が存在感を持って迫ってきた。いつの間にか私自身時空を超えて彼らとともに雪山を一歩一歩踏みしめていた。

 三角点が完成し日本の地図が精度を高め、今後長い間、人々の生活を支えていく礎の一つを作った喜びを彼らとともに噛みしめられたような気がした。社会はこうした尊い努力に支えられて一歩一歩進んでいくのだろう。

 素晴らしい時間を共有できた。日本人として誇れる作品の一つだろう。

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2009/04/16

今歴史の目撃者になった!

 レッドクリフPartⅠを見て以来、首を長くして待つ事半年、やっとPartⅡが公開された。封切り日に駆けつけたいぐらいだったがそうもいかず、落ち着いて見れる平日の午前の部を見に行った。

 いくら原作を読んだ事がない私でも、幾つかのエピソードや結果は知っている。それでも見ようという気持ちは変わらなかった。数日前にPartⅠがテレビで放映されていた。映画館で見ていたのだが再度見た。記憶を活性化させておきたかったのだ。

 80万人の曹操軍を前にして、呉の孫権と劉備軍5万人の運命は風前の灯だった。2000の軍船が押し寄せれば、江南の地は阿鼻叫喚の地獄絵と化しただろう。

 その絶体絶命のピンチを冷静な現状分析と、天候の一瞬の変化を見逃さずに利用して、勝利に導いた孔明と周瑜の英知には圧倒される。

 次々と船を飲み込む炎、様々な当時の最新兵器、その中で勇猛果敢に活躍する武将達。圧倒的戦闘場面なのだが、意外と殺伐さや悲壮さを感じなかった。ある意味、前半で登場した蹴鞠(サッカー)の試合にも重なるようなさわやか感さえ残ったのは何故なのだろう。

 私の中では曹操は憎むべき悪の象徴だった。これは勧善懲悪的色彩の濃い三国志演義の影響が強いと思う。しかしこの映画ではなかなか含蓄ある名将としても描かれている。史実では政治的にも、文才にも秀でた人物だったらしい。

 そう、この映画は単なる勧善懲悪の物語とすることなく、今から1800年前、江南の地、赤壁で起こった歴史的事実を現代の私達にも分かりやすく再現してくれたのだ!その事実から私達が何を学ぶかは、私たち自身の問題なのだろう。

 闘いが終わり美しい江南の山河のもと、孔明(27歳)を周瑜(33歳)と小喬が見送る。若き英雄達がまぶしいくらいに輝いて見えた。

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2009/03/12

オーストラリア

 雄大な自然、珍しい動植物。世界中からの移民を受け入れ、人種の融和を目指している新しい国。子供や若者がのびやかで生き生きとしている国・・・・・。

 昨年の秋(日本では春)二週間の旅ですっかり魅せられてしまった。それ以来、コアラ、タスマニア、カンガルー、森林火災、救い出されたコアラがペットボトルの水を飲みつくした事、・・・・なんであれ、少しでもオーストラリアと関係する事には敏感に反応してしまう。

 もちろんまた行きたい!

そんな私が名前もずばり、オーストラリアと言う映画を見逃すわけにはいかない。一昨日見てきました。

笑いあり、活劇あり、ロマンスあり、スリルあり、涙あり、感動あり・・・。

良質の娯楽映画のすべての要素を満たしていた。それをオーストラリア大好き人間である私が見たのだから、途中からティシュとハンカチが動員され、見終わった時には目が腫れていたとしても不思議ではない。

難をいえば、2時間45分を一気に見るのは少々疲れた。

乾季のオーストラリアの自然描写に偏っていたので、もっと雨季の草木の素晴らしさを紹介し、様々な野生の動物も登場させて全体を膨らませて、途中休憩を15分ぐらい入れたらもっと余裕を持って鑑賞できたと思う。

後半の物語の時代背景として登場した、日本によるダーウィン空爆の場面は日本人として胸が痛んだ。身近なアジアについてはそれなりに知っていたつもりだが、こんな日本から遠く離れた南半球の平和な土地にまで、旧日本軍は爪あとを残していたのかと思うと悲しかった。戦後それをきちっと次の世代に教え反省の上に、世界の国々と平和友好の関係を築いていくはずではなかったのか。

最近、他国に与えた苦しみには目をつぶり、自己正当化にばかり目を向ける風潮が一部に見られるが、“品格ある”民族の採るべき態度ではないだろう。

最近のオーストラリア政府の先住民族アボリジニに対する政策は好感を持てる。過去の過ちを反省し償っている。初期の白豪主義も見事なまでに克服され、民族の融和が自然な形で根付いていきつつあるように見える。

世界で最も若い大陸の未来に乾杯!

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2009/01/15

“東大落城”を見て

 見なければよかった・・・・。

昨日の夕食後、テレビ欄を見ていた。何か面白そうな番組があるかな?何、東大落城?

また当局目線で、全共闘"暴力"学生全員逮捕までの大捕り物劇か・・・。もういい加減にしてくれ。とはいってもあの時代に少しでも関係ある番組には惹かれてしまう。色々葛藤があったが、8時からのドユメンタリー風ドラマを見始めてしまった。

警察当局指揮官を主人公にしてはいたが、ドラマの細部には意外と学生側に対する誠意が感じ取れた。いつの間にか感情移入していた。

新緑のまぶしかったイチョウ並木で夢中になって討論していた頃・・・・

黄金色に輝くイチョウの下での心踊る数々の集会・・・・

屈辱と落胆に打ちのめされて重い足を引きずり後にした落葉の並木道・・・・

2時間の映像により呼び覚まされた、当時の記憶の数々は余りに生々しく、重たいものだった。

安田講堂の最後の攻防戦を見ながら、涙があふれ出てきた。いけない・・・。明日は外出の予定があるのだ。目を腫らすわけにはいかないのだ・・・・・。

心の奥に封印していた感情を又押し込めて、いつもながらの生活に戻った私だった。

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2008/12/11

レッドクリフ  

 レッドクリフが面白いらしい。そうなの・・・。又ターミネーターやマトリックスばりのハリウッド映画なのだろう。

そのうちレッドクリフとは赤壁、すなわち三国志のクライマックス、赤壁の戦いをテーマにした映画だと知った。これは見ないわけには行かない!何しろ三国志なのだから・・・。 諸葛孔明、関羽、劉備、曹操、・・・・・きら星の如く英雄豪傑の名前が浮かんでくる。なんてったって私は大学で中国文学を専攻していたんだから・・・・。

しかし正直に白状すると、私は今までちゃんと三国志を読んだこともなければ、テレビや映画でも、とうして見たことがないのだ。一番鮮明な記憶が、息子達が幼かった頃、テレビで放映されていた人形劇を時々覗いていた程度なのだ。これさえも夕食の準備に忙しい時間帯だったので、断片的に目に入ってきたに過ぎない。

思い返せば私にもしっかりと三国志と向き合おうと思った時があった。大学三年になって中国文学科に進学した頃、中国文学の古典を読み尽くそうと思っていた私は、まず三国志演義、水滸伝、紅楼夢、西遊記の原書を専門店で手に入れた。三国志は二分冊で合わせて四センチぐらいあった。しかも挿絵もなく全部漢字である。しかし当時の私は若かった。大変そうな事ほどやる気が起こった。

なかなか面白かった。読むほどに引き込まれていきそうな気がした。しかし曹操の若き日のエピソードでつまずいた。

政敵に追われ、逃避行の途中立ち寄った知人の家での事。主人の客、曹操にご馳走しようと、使用人が豚を絞めようと相談していた。それなのに自分を殺そうとしているとはやとちりして、自己防衛とばかりにその使用人を殺してしまう。ココまでは単なる誤解で済むかもしれない。当然主人に詫びを入れ、償いをするものと思った。しかし曹操は、主人が怒る事を予想し、帰宅してきた主人を殺害して逃走する。・・・・ココまで読んで私の心は凍りついた。どうしてもその先に進めなかった。

そんな時に、大学に機動隊導入、全学スト、・・・・私は書を捨て外に出た。私の人生は未だにある意味、その延長なのかもしれない・・・・。

言い訳が長くなってしまったが、要するに今回の映画は私にとっては三国志の初体験であったのかもしれない。生き生きとした人物像。当時を髣髴とさせる衣装、武器、建築・・・・。

 2時間半があっという間に過ぎた。早くパート2が見たい!

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2008/08/21

崖の上のポニョ

 宮崎アニメの最新作である。直ぐに見に行くつもりが、夏風邪をこじらせたため、人ごみや長時間の冷房を避けたかったのでのびのびになっていた。その間北京オリンピックのテレビ観戦にすっかり浸りきった毎日だった。

一昨日、久しぶりに電車に乗り、繁華街のシネマに出かけた。暑い日ざしも館内に入ればひんやりとして避暑気分に浸れるし、長袖の上着、ひざ掛けと冷房対策もバッチリである。

この間テレビや、新聞などで色々取り上げられていたので、予備知識が少々入ってはいたが、本来私は先入観無しで見たり聞いたりするのが好きなので、筋も背景も大体白紙で見れたと思う。

まずは“となりのトトロ”のメイがポニョになって現れたという感じであった。ストーリーもその世代向けに展開していく。愛の起源ともいうべき幼いが強い気持ちに貫かれた天真爛漫な物語。宮崎さんは、最近のどちらかというと大人向けのアニメの潮流にあえて背を向け、子供達のためのアニメを作りたかったのだと思った。

この試みは果たして成功したのだろうか。私自身はもはや子供ではないのでそれを判断できる立場ではない。しかし幾つか疑問点も残った。途中から少々退屈したのだ。これは、宮崎アニメの初期の“未来少年コナン”などを見た当時の、最後まで息つく間もないドキドキ感とワクワク感の連続と比べるとかなりの違いである。当時のアニメは宮崎アニメに限らず作者の全力投球の意気込みが伝わってきた作品が多かった。我が家でも息子が夢中だったし、かたわらで見ていた私自身いつの間にか引き込まれてしまう魅力があった。

しかし今回のポニョはいかにもお子様向けに作られていた。それも観念的に・・・・・。

子供の表現能力、特に言語能力は低い。しかしそれは子供達の感受性の裏返しではない。反対に人生の中で最も豊かで鋭敏な感覚を持った時期だという。大人の小手先で対応できるものではないと思う。

宮崎氏の原画の手書きに傾けられた精力は、もっとストーリー展開の細部に注がれて欲しかった気がする。

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2007/11/19

ヤマトナデシコ健在!

 私のテレビ視聴時間は余り長くない。通常は夕食後1~2時間である。しかし昨日は、かなりの時間テレビの前から離れられなかった。

 まずは、東京国際女子マラソン。野口みずき選手を含む3人の首位争いが中盤まで激しく続いた。左足首故障でフルマラソンは2年余遠ざかっていたという野口選手は大丈夫なのだろうか。

 しかし後半になるほど力強さを見せてきた走りは、最後の上り坂で爆発した。ぐんぐんタイムが伸び独走態勢でゴールを駆け抜けた。輝く笑顔、しかも息遣いは余り乱れていない。余裕の勝利であった。北京での活躍に期待が膨らむ。

 次は、ゴールデンタイム台、フィギユアスケートのフリーの演技があった。浅田真央のフランス杯優勝がかかっている。

 突如妖精のように私達の前に姿を見せ、未だあどけなさの残る、伸びやかなスベリですっかり魅了されてから数年。技術的にも精神的にも一回りも二回りも大きくなっていた。トリプルアクセル(三回転半ジャンプ)に挑戦し転倒するも、直ぐ持ち直し最後まで高水準の演技を完遂した実力は素人目からもたいしたものだと思った。今後とも成長を続け、世界の真央であってほしい。

 それに続いては吉永小百合のドキュメント番組だった。我らが世代のお姉さん的存在であった、小百合さんの久しぶりの近況が見られるとのこと、見逃すわけにはいかなかった。

 まずは相変わらずの美しさと“優等生”振りに安心。そう、吉永さんは我らが時代の一寸古風な価値観を、社会がどんなに変貌しようと変わることなく持ち続けてくれている。そこに戻るとほっと安心できる雰囲気を守っていてくれている。

 映画の中でというより人生の中で、誠実に、不器用なまでに“優等生”を演じてくれている。

 そのおかげで、私達後輩は、かなり自由に人生の冒険にチャレンジできたし、生活空間の広さを享受できたような気もする。

 こうしてみてくると時代が変われど、日本女性の芯のあるガンバリズムは健在のようである。

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2007/08/06

レミーのおいしいレストラン

 先日、納涼もかねて今なかなか評判のアニメを見てきた。

 楽しかった。久しぶりで味わった、おしゃれで、美味しい料理みたいに・・・・。ディズニーの一寸大味のアニメとも一味違う、木目細やかに隅々まで気配りの利いた、楽しい2時間を過ごせた。


  こんな楽しいアニメ、もっと気軽に見れたらいいのにな。そもそも最近はアニメの絶対量が少ないと思う。私の息子が幼かったころ、アニメは実に豊かだった。テレビでは毎日朝30分物を2本、夕食前に4本、ほとんど毎日見ていたから、かなりの数だったと思う。息子は、すべてのアニメの時間を熟知していて、チャンネルを切り替えていた。私も、食事の準備の合間に大いに息子と一緒に楽しんだ。

 おかげで当時のテレビアニメに関して、私の造詣は並大抵ではない。今でも主題曲を聞けば、さまざまな場面が次々に頭の中に浮かび上がってくる。

 しかし息子が成長し、アニメから離れると共に私もいつの間にか離れていた。最近ではテレビアニメを見ることは殆んどない。劇場で宮崎アニメを見るぐらいだ。

 そんな私にとって、この作品は久しぶりにアニメの楽しさの原点を思い出させてくれた。

 ハラハラドキドキ、友情あり、家族愛あり、夢あり、希望あり、笑いあり、涙もあり・・・・・。そう、何でもあるのだ。2時間があっという間に過ぎた。またこんなアニメを見たいと思いながら映画館を後にした。

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2007/07/09

鈍感力と共感力

ここ数週間、山口県H市事件の被告の供実を聞くたびになんともやりきれない、腹立たしさがこみ上げていた。妻子を無残に殺害された、被害者の夫の怒りもひしひしと伝わってきて、犯行時に18歳だったという犯人への同情の念も、少しも沸いてこない。大型弁護団の動きもなんともわざとらしく、かえって反感を感じてしまう。

こんな流れの中での先々週のテレビ番組“大田総理・・・”のタイトルは“少年法を廃止します”だった。大いに興味があったので是非見ようとチェックしておいた。


始まって数分、突然電話。久しぶりの知人からだったので、初めこそちらちらテレビに目をやっていたが、相手の話を聞き漏らしたりしたため音を消したが目だけは展開を追っていた。途中から画面内があわただしくなり、アップされる発言者の何人かは目に涙さえ浮かべ、ただ事ではない雰囲気が感じられ、どうしても電話に集中できないので、やむを得ずテレビを消した。電話が終わって直ぐつけたが、番組はすでに終わっていた。展開がどうにも気になったのでインターネットのいくつかの掲示板を開いてみた。

覗いてみて驚いた。これがいわゆるネットの“祭り”というものか。発生直後に遭遇したのは初めてだったので、興味を引かれるままにしばらく流れを追ってみた。

息子をいじめによる暴行でなくした母親の涙の訴えに対する、元弁護士H氏の無機質とも取れる反応。スタジオ内でかなりの反感が巻き起こったようだ。私がその場にいたらやはりH氏の発言に違和感を持ったと思う。投稿者の、被害者の母への同情とH氏への怒りが渦巻く。 “ネットウヨ” “ぶサヨ”との罵声が時々入る。花火祭りなら“玉や~”“鍵や~”の掛け声が入る所なのだろうか。正に祭りである。

ここでは二つの重大な問題がごちゃ混ぜになっていると思われた。

一、共感力と鈍感力の関係

二、少年犯罪に対する考え方

昨今見られる、少年犯罪の凶暴化、少年の反省の無さなどをマスメディアで(この場合ネットも含めて)これでもか、これでもかと見せ付けられると、罰則の強化が必要という意見が説得力を持って感じられる。しかし冷静に考えてみれば凶悪犯罪を含めて少年犯罪そのものは減少の傾向にあるというし、社会的弱者であり、教育の効果が大きな青少年にはやはり罰よりは矯正が基本になるべきだとは思う。

そう考えている私でさえ、反感を感じてしまうのはどうも法律のプロによる“鈍感力”の履き違いに起因しているような気がする。

以前、検事に採用された方に研修の様子を聞いた事がある。日常生活では体験した事がないような数々の恐怖の体験、生々しい事故現場の立会い等々ナイーブな感受性を“麻痺”させて、強靭な心臓の持ち主に改造されるらしい。

目先の“私情”に左右されない鋼鉄の心臓を持った、法律の番人を養成するための、必要悪なのかもしれない。そうして鍛えられた、目の前の個々の事象に惑わされない心のありようは一種の技能かもしれない。“剣の心”といってもよい。しかしそれは人を守りもするし、使い方次第では罪のない人を傷つける。

時々見られる苦労知らずで人の痛みに“鈍感“という場合と一見混同されやすい。庶民の苦しみになんら共感することなく、“鈍感力“を強化せよと口にする政治家も見られるが、“鈍感力”ばかり逞しい政治家ほど庶民にとって迷惑な存在もないだろう。

国土が日々焦土と化し、国民が地獄の苦しみに直面している時に、未だ“国体の保持“(=権力の延命)を最優先に考え、広島・長崎の被爆の悲惨さも“しょうがない”で片付けてしまう。近隣の国々を侵略して、日々の生活を破壊し、人間としての尊厳を踏みにじり、生命を奪った過去を反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓ったはずなのに、未だに大国の侵略まがいの行動に言うがままに従っている。

鈍感力は人間性の裏づけがあって初めて許される物だろう。

また“共感力”も一部の集団内や、目先の事象だけに留まっていては、“宇宙船地球号”の乗員としては、心もとない。自分が体験していない事にも、会ったことのない人にも共感力が働くようになれたら世界はもっと平和になるだろう。

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