2009/01/08

寝る子は育つ

 これは人間の成長における休憩の大切さを分かりやすく述べている。ことわざには永年の民間の知恵が凝縮している事が多いが“良く学び、よく遊べ”も学習(仕事)と遊び(積極的休憩)両方の必要性を述べていると思う。

私が高校生の頃は、受験戦争といわれるほど大学入試が厳しく“四当五落“という言葉がもっともらしく巷に流布していた。当時東大に合格するには五時間も睡眠をとってはダメで、四時間にするぐらいでないとおぼつかないという意味だ。要するに睡眠を削って受験勉強をしろということだ。

しかし私自身の経験では、睡眠を削っても何もいいことはなかった。自己満足は得られるけれど、頭は朦朧とし建設的な働きはまず期待できない。

実際東大に入学して周囲の人に聞いても八時間前後しっかり睡眠を取っていた人が多数派だった。大事なのは時間の長さではなく、集中力の問題なのだと思う。

昨年の春オーストラリア旅行をした際、夕方五時には早々と店じまいをするお国柄にビックリしたものだが、添乗員さんの話では世界で一番正規の仕事時間が短いのはドイツとのことだった。これは意外だったが何となく納得できた。合理的精神の持ち主が多いドイツらしさなのだろう。

それに引き換え我が日本では、残業時間の多寡が仕事熱心の尺度と化している観すらある。四当五落の精神である。要は自己満足である。結果として長い眼で見た生産性は落ち、独創的成果は殆んど期待できず、ただいたずらに肉体と精神の疲労が蓄積される。

個々の成員がこれでは集合体としての企業、社会、国はゆとりを失い、長期的展望もなく目先の事象で右往左往することになる。

時は金なりという。一般には時間を無駄にすることなく金儲けを勧めた資本主義初期のアメリカ精神を表現した文脈で使用されるが、実際には両者ほどよいバランスを保って初めて人間らしい快適な生活が送れると思う。時間的ゆとりと、生活に困らないお金。どちらかに偏った人間は不幸だと思う。

今ワークシェアリングの議論が聞かれだした。是非実行に移し、活力のある日本を取り戻して欲しい。

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2008/08/04

夏風邪を引きました  続

 夏風邪を引くやつは馬鹿だ!本当にそう思う・・・。私は今回、風邪をひくべくしてひいてしまった、しかも二連続でやらかしてしまったのだ。

 原因はほんの些細な気の緩みだった。

 一週間ほど前のこと、余りの暑さに昼寝の時、扇風機をつけたままベッドに横になっていた。しばらくしたら止めるつもりだった。私にとって寝ながら扇風機を使うのはタブーだった。幼い頃、扇風機をつけっぱなしで寝た人が死んだという話を聞いた事があり、それ以来絶対にしてはいけないことの一つとして頭に刻み込まれていたのだ。それがうかつにもそのまま寝てしまい、目が覚めたのは夕方だった。

 しまった!しかしその後何事もなかった。なんだ、たいした事ないじゃないか。

 しかし翌日、私の声はだみ声に変わっていた。午後になると話しているうちに咳き込むようになってきた。夜には腰、両足が痛みだした。動かしても、じっとしていても何しろ痛い。こんな時、人は神仏に祈るのかも知れない。そのうちに短い眠りに着く。それを何度か繰り返しているうちに朝になった。今考えると、これは身体からの警報だったのかもしれない。この時点でもう少し注意していればその後の事態は避けられていたのだろう。

 新聞配達のバイクの音、小鳥のにぎやかな囀り、蝉の声・・・・結構にぎやかだ。いつまでも横になっていても安眠できるわけでもないので、少し早かったが起きだして、近所の散歩に出かけた。早朝の空気はひんやりとして気持ちがいい。一回りして戻ってきたが、全身の懈怠感とだみ声は変わらず、今度は何を食べても味がしなくなった。食欲も見る見る落ちる。無理に口に押し込み、何とか飲み込むという感じである。

 まあこんな状態も明日にでもなれば直ると大して気にしないで、だらだらと過ごして夜になった。いつもどおりのんびりとぬる目の風呂に入ると汗がドバッと吹き出てくる。余りに暑いので、窓を開けたまま涼風に当たっていた。汗が収まったら、窓を閉めて眠りに就く算段だった。

 ああ、それなのに私は又も、決定的ミスを犯してしまった。一寸横になったつもりが、そのままぐっすり・・・・・。

 夜半、ひんやりとした冷気に目が覚めた。外では激しい雷雨の音。まるで滝のようなすさまじさである。私は慌てて飛び起きると窓を閉めた。身体はすっかり冷えきっていた。・・・・・これで私の風邪の重篤化は決定的になった。

 これに続く毎日は、風邪の“定食”が濃厚なフルコースに変更された感じだった。咳、痰(時に膿や血も混入)、鼻水、声もかすれて、息をするとフューフュー妙なオトがする。身体、特に脚の耐え難い痛み、・・・・。 

それにしても今回ほど、風邪と“風”の因果関係を身に染みて感じた事はなかった。

風とは冷気と考えてもいいだろう。邪とは身体に害となる働きである。身体を冷やすという事は、本来生き物にとって危険な行為なのだろう。これが冬季とか、寒冷地の場合は言われなくても用心するのだが、夏など一般的に暑い状態なのでツイ油断してしまう。特に明らかな寒さなら気がつくのだが、“低温火傷”のようにジワッと効いてくる場合など見逃してしまうことも多い。冷房病などもその一つなのだろう。

 今回はどうやら、扇風機をつけっぱなしで寝て死んでしまった人列伝に名前を連ねなくて済んだようだが、危険水域に近づいていたような気もする。

久しぶりに身の回りを眺めてみた。庭の片隅の水槽の中では、5ミリほどのメダカの赤ちゃんSemi が卵からかえって元気に泳いでいる。昨日は窓辺で蟻にたかられていた蝉の幼虫を助け出し、カーテンに止まらせていたら夜半脱皮して白っぽい蝉が出てきた。朝には普通のアブラゼミに変身していて、窓を開けると勢い良く外に飛んで行った。

まだまだ暑いが、暦の上では立秋が近い。

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2008/01/07

鬼の霍乱

辞書を見るとふだんきわめて健康な人が珍しく病気になることのたとえとある。私が普段極めて健康かというと、いまいち自信がないが、医者にいく事もなく薬を飲む必要も感じないで毎日過ごせているのでまあまあ健康なのだろう。

それだけにたまに体調を崩すとまるでだらしない。こらえ性がないのである。今回も原因は分からないが一昨日の夜から急に悪寒に襲われ、体中がぞくぞくした。是で熱でも出れば風邪をひいたで一件落着なのだが、熱も出ない。真夜中になって食べたものを戻すわ、体中がみしみしするわ地獄の苦しみである。苦しみづかれて寝てしまい、朝になったが、体中が痛い。一日寝ていた。

こういう時は、地球温暖化だ政治不信だなどの考えは微塵も浮かばず、ひたすら自分の体のことばかり考え続けた。何がいけなかったのだろう。何か無理をしたのかな。久しぶりに自転車に乗って坂を下りたのがいけなかったのかな。ごみだしの時上着を着ないで外に出たのが原因かな、・・・・。

長い一日こんな事をとりとめもなく考えていた。身体を動かさないせいか食欲もない。夜、梅干でご飯一杯かき込んだが、殆んど義務的である。人生から食べる喜びを取り除いたらずいぶんと侘びしいものになりそうだ。

また横になっても少しも眠くない。身体の痛みも再発し、こんな状態が夜通し続くのはいやなので、ぶどう酒を少し飲んで強制的に眠りに着いた。

朝8時ごろ自然に目覚めた。身体もどこといって痛くない。直ったかな。でも何となく元気が出ない。疲労感とでもいおうか。まあ自力で二晩病魔と戦い続けたのだから当然か。今日一日はゆっくり静養し、夜は七草粥でも食べて、自然の英気をもらおうかなと思っている。

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2007/08/13

暑いですね!

 毎日毎日、これでもかこれでもかと暑さの連続である。暦の上での立秋を過ぎた頃から、更にヒートアップしてきた感じさえする。日中は体中からジワッと汗が噴出し、しょっちゅう冷蔵庫に駆けつけ冷えた麦茶をほてった身体に注ぎ込む。なんかもうヤケである。そんなにジタバタしないでクーラーのスイッチを入れたらいいのにと、心のどこかでささやき続ける。

負けるものか、こうなったら意地である。こうして夕方少し涼しくなった頃、街に出かけ買い物をする。途中、木々の間を通ってきた風は以外に涼しく、今日も無事暑さを乗り切った満足感が心を満たしてくれる。

 何故こうまでして、クーラーに対抗するのか。温暖化防止のため、それも確かにある。しかし、より直接的動機は、わが身体に未だ健在な汗腺を衰退させたくないからである。

 汗腺は体中に張り巡らされた、汗分泌器官であり、体温調節と共に、全身、特に皮膚近くの老廃物排出機能も持っているという。毎年夏の暑さを乗り切る頃、皮膚近辺の老廃物もすっかり除去されて、又新たな一年を迎えられる。ココで老廃物の積み残しをしないためにも、毎日しっかり汗をかく必要があるのだ!

 この汗腺が全身に備わっているのは、哺乳類の中でも人間や類人猿など、ごく一部にしかすぎないという。暖地起源のネコは四肢の肉球にしかなく、寒冷地起源のイヌは、舌から水分を分泌することで代用しているという。そういえば夏のイヌは口で激しく呼吸し、よだれをだらだら流し続け、見るからに気の毒である。

人間にしても、この汗腺は生後2~3年のうちにしっかりと鍛えないと機能を開始せず、以後どんなに努力しても新たに形成されないという。その意味でも、幼児はしっかりと外で汗をかかせ、以後の人生の基盤を作ってあげたい。

しかしせっかく獲得された汗をかくという能力も使わなければ退化する。最近はクーラーが普及し、学校にまで進出しているそうなので、日本人の暑さに対する許容力は今後急速に衰えていくのかもしれない。そのうえ、体中に老廃物が蓄積されて、肌のトラブルの激増も予想される。

たかが汗、されど汗である。

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2007/01/29

ミニスカートは荒行!?

先日都心のデパートへ久しぶりに行った。近場にもデパートやスーパーができ、いつもはそこで大抵のものは間に合ってしまうので、わざわざ混雑している都心に出ることはない。今の時期、歳末・新春商戦も過ぎ、成人の日も過ぎ、人出も一段落したところで各デパートは冬物セールの真っ盛り。意外な掘り出し物があるかもしれないし、戸外を歩いても寒いので散歩もかねてのお出かけである。

 特に買いたいものがあるわけでもなく、いたってのんびりムードなため、道中の観察も結構楽しい。

 一番強烈に印象に残ったのが、女子高生のスカート丈が、アララと思うほど短くなっていた事だ。電車に乗り込み座席に腰掛け、やれやれと前方に目をやると数人の見るからにエネルギッシュな女子高生のセーラー服姿が目に飛び込んできた。元気に談笑している。

 若いっていいなー、一寸感傷に浸るまもなく、膝元になにげ無く目線がいってドキッとした。見てはいけないものを見てしまったような、なんとも気恥ずかしい気持ちで慌てて目をそらした。ナンなんだ!あの短さは・・・・。人前で、しかも制服・・・・・・。

しばし動揺を抑えて、冷静に考えてみればこれは今に始まった事ではない。数年前から、街中で見かけるたびに多少は感じていた事だった。でもあわただしい日常の風景として見過ごしていた。しかし眼前に長時間見せ付けられるとおのずと感想も異なってくる。

かくいう私も高校時代はセーラー服で過ごした。制服を注文しにデパートに行った時、何故だか父と一緒だった。父は成長盛りだからと、店員さんのアドバイスよりはるかに長めにすそ丈を決めた。おかげで私のセーラー服のすそ丈は、ただでさえ長めの当時の標準を更に更新していた。ひざ下10センチはあったように思う。その上、3年間を通じて余り背も伸びず、卒業までその状態は続いた。


当時の私はそんな事は少しも気にならなかった。それより父が一緒に行ってくれて作ったという事が嬉しくて、とてもその制服を大事にした。毎日寝押しといって、畳の上に敷物を広げ、その上でスカートの折り目を丁寧につけ、そっと敷布団を敷いた。こうすると次の日には、ピシッと折り目がついて気分もすがすがしい。毎日欠かすことなく、このスカート一枚で3年間過ごした。

級友の中には、夏冬それぞれ2枚ずつ持っていて、休日になるとクリーニング店に出す人もいた。でもうらやましいとか感じた事はなかった。

そんなこんなの感傷に浸っているうちに、最寄り駅に着き外に出た。日も傾き気温が急激に下がってきていた。さっきの女子高生もさぞ寒いだろうな。何で親や学校はあんな薄情な格好を大事なわが娘にさせるのだろう。

ふと、正月以来テレビでよく目にした寒中水泳、寒中みそぎ等の映像が目に浮かんできた。ひょっとしてその精神の延長にあのミニスカートはあるのだろうか。それにしても“年寄りの冷や水”というように、一般に、特に老齢者が身体を冷やす事は健康の大敵である。若者が短時間の場合はありなのカナとも思うが、冬中ズーっとは長すぎる。婦人科医の意見を聞きたいと思うのだが・・・・。

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2006/02/10

闘病記

 タイトルが立派過ぎる。そもそも闘病といえるほどの代物か。病名が貧弱すぎる。期間が短すぎる。・・・いちいちごもっともなのですが、私にとっては、久しぶりの、全身全霊をかけた闘いだったので、記録しておきたかったのです。

 昨日の朝、目が覚めるとおなかが痛かった。そんじょそこらの痛さではない。もう叫びだしたいくらいの、どうにもならない痛さがこれでもか、これでもかと腹部を襲う。今までもおなかが痛くなる事はあった。そういう場合は〇〇丸を飲むことで大抵1時間もするとけろっと痛みは消えた。

 私の身体は、きわめて単純にできているのだ。今回もさっそく服用した。ところが効果あるどころか、胃に到達したころあいを見計らって、猛烈な嘔吐に見舞われ、すべて体外に出されてしまった。こうなると私としては打つ手が無い。ひたすら横になって、痛さと向き合うしかない。痛い痛いと念仏のごとく唱えていると、よくしたもので猛烈な睡魔に襲われ数時間安息できる。次に目覚めた時は、痛さ度は少々低下している。これを何回か繰り返しているうちに夕方になった。それまで、お茶さえ受け付けなかったのが、味噌汁とご飯を少し口にできた。
 
 そして、今日。痛みはうそのように消えと、期待していたが、そうもうまく行かず、腰と背中が少し痛んだ。それでも起きだし、ごそごそしているうちに、大体いつもの調子に戻った。一体、この痛みの原因は何だったのだろう。風邪だろうか。それとも一昨日かなり長い階段を上り下りした筋肉痛が原因だろうか。まあ直ったんだからどうでも良いけれど。

 それにしても、昨日一日はつらかった。もしあの時、人生で最も必要なものは、と聞かれたら、何のためらいもなく“痛みからの解放”と答えていただろう。生きがいとか、思いやりとかの言葉は間違っても出てこなかっただろう。ともあれ、今日、私は痛みから解放された。また生きがいを探しながら、ボチボチやっていこうと思う。

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